小倉百人一首 歌碑巡り
歌碑を巡って、雅な京都を堪能
 
 百人一首とは、百人の歌人の歌を一首ずつ撰び集めた歌集のことです。
百人が詠んだ百首として最も古いのが藤原定家(ていか)撰とされる百人一首です。

 その成立を考える上では『明月記(めいげつき)』、『小倉色紙』、『百人秀歌』が重要な資料とされています。

 『明月記』は、定家が19歳から74歳まで書き綴った日記です。その定家74歳の文暦(ぶんりゃく)二年(1235)五月二十七日条に、息子である為家(ためいえ)の妻の父、宇都宮頼綱(うつのみやよりつな、法名=蓮生(れんじょう)の求めにより嵯峨中院山荘に飾る障子色紙形を染筆したと書き記しています。

 『小倉色紙』は、定家自筆とされる色紙が30枚ほど残っており、百人一首成立の一等資料とされていますが、その真贋の見きわめは容易ではありません。

 『百人秀歌』は、昭和二十六年(1951)有吉保氏によって宮内庁書陵部蔵本が発見され、その後、冷泉家時雨亭(れいぜいけしぐれてい)文庫からも古写本が発見されています。百人秀歌は百人一首と配列は異なりますが、97首の歌と98人の作者が一致します。百人秀歌の出現により、百人一首の撰者は定家であることが確定的となりました。

 定家の百人一首は、多くの模倣作品(異種百人一首)と区別する意味から、山荘の地にちなんで『小倉百人一首』と呼ばれるようになりました。

 
 
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